編入勉強ログ(2011/03/08)
数学
- 高専の数学2問題集 5.2-5.9の問題演習
英語
- 速読英単語必修編 No.1の内容確認
編入勉強ログ(2011/03/07)
今日からぼちぼち編入試験の学習ログを記していきたいと思います。忘備録を兼ねて。
数学
- 電通大(H19)の数学の過去問を解いてみた⇒殆ど解けなかった
英語
- 速単必修編(No.1)
- 高専生のための大学編入塾というサイトにある速単の利用法に従って学習を進めている
- 語源暗記(sub, vi, hap)
高専カンファレンスin沖縄について
お久しぶりの更新です.
タイトルについてですが,以下の理由により白紙とすることに致しました.
この決断に至った理由
大きく分けて3つあります.
- 問題点が解決できる見通しが立たない
- 私個人で処理できる容量を軽く超えてしまう
- 現状でカンファレンスを開くことによる利益を提供できそうにない
1.問題点が解決できる見通しが立たない
そもそも沖縄に来るのにかかる費用の高さ,交通網,開催場所をどこにするか,など開催を考える前の時点で問題点が山積していました.
それらを解決できる見通しは現在も立つ見込みは有りません.
開催場所については高専での実施は諦め,中南部の施設を借りて行うことも考えましたが,仮にそうした場合,今度は寮生の参加が見込めないという事態が発生しました.
USTの配信をするにしても,学生寮で閲覧できるようにするのは限りなく不可能に近いので,
(寮から中南部の地域に出かけるのは多大な費用がかかるので避けたい)
そうすると一部の寮外生や中南部に住んでいる寮生しか利益が享受出来ないということになり不平等だろうという懸念があります.
私は不公平というのが本当に嫌で,沖縄でのカンファは出来たとしてもそう何度も出来るものでないので,やるからには出来るだけ全員に利益を提供できるようにしたいというのが正直なところです.
しかし現状ではそれは極めて難しいだろう,というのが結論です.
2.私個人の処理能力の低さ,それに伴う悪影響の懸念
昨年から殆どのカンファで大規模化が進み,様々な企画も催されるようになりました.1.とも関連しますが,電車がない沖縄で遠足を催すのは極めて厳しいものがあります.
(バス移動になるとしても,沖縄のバスはアレゲ.また,私は寮生なので行動には制約が生じる)
高専カンファin沖縄の言いだしっぺということもあるので,(⇒参考)
やるからには引っ張っていく立場にならないといけません.しかし,私個人の対応できる処理能力は他の人と比べても著しく低いのが正直なところです.かといって協力者を探そうにも,処理能力の低さ故にその方々に多大な迷惑をかけてしまうのではないかという懸念もあり慎重にならざるを得ない状態に陥っていました.
3.現状でカンファレンスを開くことによる利益を提供できそうにない
これがその最たるものなのかな…と感じています.正直な話,カンファレンスを開くことが目的になっていた感は認めざるを得ません.
最近は高専カンファが多すぎるので年間の開催数を減らした方が良いのではないか,という指摘もあります.
そうなると,何人来るのかが他の開催に比べても未知数としかいえない沖縄での開催で果たしてメリットがあるのか疑問符を付けざるを得ない状態です.
(私個人としては,他所と比べても他高専の学生との交流が難しいこともあるので,交流の機会を作りたい,というのもありました)
カンファにこだわる必要はない,という声も頂いたことはありますが,それじゃカンファ以外で何かアイディアがあるかというと残念ながらありません.
あとがき
昨日あるツイートをした後,ある方から指摘を受けたことをきっかけに今回の記事を書きました.
結局のところ,私の非力さに帰着している気がします.
自分自身もこれを出すべきかどうか迷いましたが,いつの間にかこの話がなかったことになっていたというよりは,はっきりさせたほうが良いだろう,ということでこの記事を出すことにした次第です.開催を期待していた皆さんには誠に残念な形での報告となってしまいましたことを深くお詫び申し上げます.
それでは,文がまとまっていませんがこれにて失礼いたします.
高専カンファレンスの転換期?
高専カンファレンスin神戸が行われた今日(1月8日)の#kosenconf TLを見ていてふとそう感じたので。
色々ツッコミどころはあるかと思いますが、あくまでも私個人の考えなので適当に読み流して頂けると幸いです。
ネタ発表はもう許されない時代なのか
USTをまだ見ていないためLTの詳しい内容には触れませんが、あるLTの発表内容を巡って賛否が広がったようです。
内容がサブカル系のネタ発表だったということですが、USTで見ていた人の中から否定的な意見が噴出したのがきっかけで次から次へと意見が続出。
私が見ていた感じだと、
- (今回のLTの)発表内容は一般市民からの高専生の評価を著しく低下させる(可能性がある)
- 査読を導入するなどして、発表内容に制限を設けるべき
- (USTは)全世界で見られる、見ているのは高専関係者ばかりじゃない
- 発表内容に制限を設けると発表者の減少に繋がるのではないか
- "高専カンファレンス"という名称のあり方を考えるべき
- 査読とかではなく、発表者一人一人の意識が重要
- 高専クラスタのOFF会化している、もっと一般の人の参加を
- 一般の参加を増やすことで内容を硬くするのでは、もはや高専カンファではなくただの勉強会でしかない
など、様々な意見を目にしました。私もUSTで何度か高専カンファを見ていますが、これほど発表内容で賛否が出てしまったケースは前例がないように感じます。今日に限らず、自分が見ていた感じ正直「これは賛否が出るんじゃないか」という発表はいくつかあったりしますが…
いずれにしても、ネタ発表については今後は慎重にならざるを得ない時が来ているのかも知れません。
真面目指向に舵を切るべき?
まだ私は実際に参加したことがないのであまり大それたことは言えませんが、今回のように発表内容で賛否を生みたくないなら真面目指向に転換するしかないんじゃないか、と思っていたりします。
つまり、ネタ系の発表は募集及び査読の段階で容赦なく弾く、と。
これでは面白くなくなってしまう、という意見も見かけましたが、学校への協力を取り付けたり、今まで以上に一般の人への周知、一般の人の参加を促すとなるとこういう考えも必要になってしまうのかな、と。
ちなみにうちの学校の場合、○○主事の立場にいらっしゃる先生方が非情報系教員ばかりで情報系のネタ発表は正直受け付けられないのではないかと感じています。情報系教員だとネタにもある程度対応できる先生方も多いのですが… また自分が恐れているのが、仮に沖縄で高専カンファをやったとして今回のように発表内容に問題があった場合、沖縄高専のイメージを損ねたとして運営サイドの人たちが後で厳しい処分を言い渡されてしまうのではないかという危惧です。処分規定の中に「沖縄高専の学生に相応しくない悪質な行為」というものがあり、これは余談になりますが過去に後夜祭の出し物としてあった映像作品を巡って、後夜祭に参加していた人は楽しんでいたようですが、その映像作品に出ていた学生が後でこの規定で処分されていたりします。(ちなみに規定適用の理由としては不法侵入などが挙げられていました)
この前例があるので、発表内容によっては運営サイドが痛い目に遭ってしまうのではないか、と恐れているわけです。せっかくカンファを開催できても後でこんなことになってはモチベーションも下がりますし、人によっては二度とカンファに関わりたくない、という負の連鎖に繋がってしまうかも知れません。
色々書いていますが、一番の理由としては「せっかくカンファというイベントを楽しみたいのに、今日のようなギスギスしたムードになっては全てが水の泡になってしまうのが嫌」ということだったりします。
2011年の目標
2011年が始まってもう8日も経ってしまっていますが… 今年の目標を書いてみようかなと思います。
- 大学三年次編入を成功させる
- まだ行きたい大学を決めていないので曖昧な書き方になりますが…
- 今年こそ高専カンファレンスに参加する
- なかなか日程が合わないため出来るか分からないのが正直なとこですが、高専本科生最後の年なので卒業するまでには参加したいですね。余裕があれば発表まで…
- Androidアプリの開発
- TOEICスコア700点台を取る
- まずは600点越えを意識して、11月の試験で700点越えを目指したいと思います。
とりあえず今のところ思いつく目標はこのぐらいです。たくさん書いても達成できないのは目に見えているので。
去年はいくつか書いた中で1個しか達成できなかったので、今年は一つでも多く達成できるように意識していきたいと思っている次第です。
それでは今年も引き続きどうぞ宜しくお願い致します。
整美委員長の経験から学んだこと
はじめに
この記事はkosenconf Advent Calenderへの参加記事です。
昨日は@junesa_toさんの
「高専の学科にまつわる話」でした。
本日は皆さんが色々と素晴らしい内容の記事を記されているので、私はどんなネタを書けばよいのか直前までなかなか決まりませんでした。
技術的なことは書けないし、沖縄高専の校舎に関する話も微妙だし、基地のことを書くといろいろアレゲな気がするし、で決まらず、
高専カンファin沼津のUSTを見ながらずっと考えていたのですがUSTが終わったあとにふと
「整美委員長をやっていたときのことを書けばよいのではないだろうか」
と思い立ったので、今日は私が学生寮で整美委員長を務めていたときの話を記していくことにします。